クライミング
先日,白山にスキーをしに行ったのですが,この期は一ノ瀬のゲートが閉まっているので,一ノ瀬から別当出合までは自転車に乗って移動する必要があります.そして無事,別当出合まで降りてきて気持ちよく自転車で一ノ瀬まで下っていたところ,急にスポークが折れ,ホイールが歪んでしまいました.おそらく,木の枝か何かが挟まったのでしょう.そのホイールは高校一年生の時に買ってもらった自転車についていたものなので,かれこれ8年目になることもあり,SHIMANOのWH-RS300をアマゾンで購入しました.その到着を今,待ちながらブログを書いています.
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ところで,この10月から近所のクライミングジムの月パスを買い,週2,3回ほど通っており,最近最も熱を上げているものなので,このブログはクライミングの練習日記にしようと思います.また,その他のアクティビティの記録も載せていきたいです.
クライミングの経験としては,高校生の時に部活動で毎日登っていたので3年ほどありますが,ここ4年ほどはご無沙汰でした.グレードについては,高校の頃は11台後半くらいを登っていましたが,10月に再開したときは10cくらいしか登れなくなっていました.しかし,体は感覚を覚えていたのか,少しずつグレードを上げることができ,2日前に行ったときは11dをRPすることができました.いつも行っているジムには11dが合計で2本だけなので,もう1本の11dを落とせば,憧れの12台です.
今日も11dオンサイト目指して頑張るぞ~
残すこと・懐かしむこと
北陸では冬が近づくと,雷が増えるのですが今シーズンはまだ聞いていないです.
ちなみに,北陸の冬の雷が鳴り始める時期はちょうど鰤のシーズンの始まりと同じなので,鰤起こし(の雷)とも言うそうです.
冬の雷や不安定な天気は時に陰鬱な気分にもさせますが,同時に季節を感じさせてくれますね.
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2年間放置していたブログ(3日坊主にすらなっていませんでしたが...)を今日から再開してみたいと思います.きっかけは12月に入ってから毎日何か新しいことをしようと決めていて(一日一新というらしい),今日はブログを始めようと思い立ったからです.どのブログが良いのかを調べていると,数年前にブログのアカウントを作ったことを思い出したので,このブログを再開することにしました.2年ぶりなので,新しいこととして扱うことにします.
ブログ継続のモチベーションになるように,ブログを書くことの利点を書いていきます.
(1)考えていることや感情を整理し,深めることができる
ブログに限らないことですが,自分の思考や感情を文章にすることでそれらを整理することができます.特に自分は,普段からあまりものを考えない傾向があるので書きつつ,考えを深めていきたいです.
(2)懐かしむことができる
数か月後,数年後に自分の書いた記事を見て,「あの頃はこんなこと考えていたな」と懐かしむことができます.知り合いが「社会人になったばかりの頃に日記をつけていて,数年後に見返したら新人の気持ちを思い出して,後輩に少し優しくなった.」と言っていましたが,それと同じで過去の自分を知ることで周りの人にやさしくできるようになるのかもしれません.子供叱るな来た道だもの,年寄笑うな行く道だものに通ずるところがありそうです.
「懐かしい」という感情,良いですよね.
(3)文章を書く能力が上がる
文章を書くのは苦手なので,できるだけ正しい日本語を使うように意識して書いていきたいと思います.ある程度まとまった分量の文章を書くというのは,自分からやろうと思わなければ,なかなかすることがないですね.
ですます調にするか,ため口にするか...
(4)...
4番目以降はこれから見つけていきます.
明日は,新しいこと何をしようか.
圧倒的な目標が見つからない
久しぶりにブログ書きます。
戯言を情報の海に垂れ流すのは気が引けますが、書くことで整理されることもあると思うので、思ったことはできるだけ書いていきたいです。
数日前からふと思ったことで、人生における圧倒的な目標が見つからないということです。どういうことかというと、今までは中学、高校なら受験という大きな目標があり、大学に入ってからはパイロットになりたいという目標があったのですが、今はやりたい仕事も、どうしてもやりたいこともなく、漫然と日々をやり過ごすような毎日です。
趣味はアウトドアもインドアもいくつかあって人よりは趣味も楽しめていると思うのですが、それもやっているときはいいものの、ふとした時に俯瞰して考えると「こんなことしてて何になるのだ」と思っている自分もいて、なんだか最近はぼんやりとしています。
TOEICで○○点とるとか、マラソンでサブ○○達成するとか、そんな小さな目標をいくつ立てても何か違うような気がしているのは、自分が何を求めていて、どこを目指すべきなのかがわかっていないかなのでしょうか。
世の人はどんな目標や夢をもって生きているのか少し気になる今日この頃です。
【和訳】All That's Left Is To Say Goodbye/Astrud Gilberto
暑い日が続きますね。
夏はボサノバを聞いて涼しい気分になりましょう。
Astrud GilbertoのAll that's left is to say goodbyeを和訳してあるページが見当たらなかったので和訳してみました。
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All That's Left Is To Say Goodbye
歌:Astrud Gilberto
作詞:DE MORAES VINICIUS
作曲:Antonio Carlos Jobim
There's no use to pretend
We have come to the end
All that's left is to say goodbye
If I hold you with lies
It will show in my eyes
All that's left is to say goodbye
フリをしても意味はないよ
僕達はもう、終わりなんだ
僕達に残された事は、さよならを言うことだけ
もし僕が君を、君の嘘と共に抱きしめても
僕には、さよならの言葉が浮かんでくるだけ
So when you go I won't stop you
But I will remember
How deep, how beautiful it was
And all this beauty of love that was our love
だから君が僕のもとから離れると言っても僕は止めたりしない
だけど、僕は忘れないだろう
僕達の愛がどれほど深く、美しかったかということを
And now leaves me sad
I don't want to deny, don't want to betray
Don't want to forget
Because my love in my life
You have been like a day full of sun
そして君との別れは寂しくさせる
僕は君を否定したり、裏切ったり、忘れたりはしない
だってあなたへの愛、そしてあなたは僕にとっての太陽であり続けているから
So when you go I won't stop you
But I will remember
How deep, how beautiful it was
And all this beauty of love that was our love
だから君が僕のもとから離れると言っても僕は止めたりしない
だけど、僕は忘れないだろう
僕達の愛がどれほど深く、美しかったかということを
And now leaves me sad
I don't want to deny, don't want to betray
Don't want to forget
Because my love in my life
You have been like a day full of sun
そして君との別れは寂しくさせる
僕は君を否定したり、裏切ったり、忘れたりはしない
だってあなたへの愛、そしてあなたは僕にとっての太陽であり続けているから
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深く愛し合った二人の恋人の別れ際の曲です。深く愛し合った二人だからこそ、引き止めたりせず別れはきっぱりとしよう。別れはとても寂しいけど、あなたに会えてよかった。
日本語にすると少し照れるような歌詞ですが、真っ直ぐで素直な言葉が良いです。
男性目線か女性目線なのか歌詞からは読み取れなかったのですが、男性目線で考えたほうがなにかとしっくり来たので男性目線にしてみました。
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ボサノバやジャズはおしゃれな歌詞が多いですね
幸福の還元について
初投稿です。
最近、幸せだな〜と感じる事が多かったので、幸せについて少し考えてみました。
今自分は大学生で、ありがたいことに一人暮らしをさせてもらっていて、趣味の登山やスキー、それにサーフィンなど好きな事をできるだけの時間とお金の余裕があり、友人や良い大人との出会いにも恵まれ、欲しいものがあればアルバイトや親に借金するなどして手に入れることもでき、ほとんど不自由のない生活をさせてもらっている。
高校生の頃までは、自分が恵まれた環境で育ってきたということなど殆ど感じる事もなかったが、最近ようやく恵まれて生きてきたという事実に気づいた。
今まではむしろ、これは自分の力で手に入れた自由であり幸福であると勘違いをしていたが、実は自分が今恵まれた環境の中で生きていけるのは、自分の努力の賜物などではなく、自分を育ててくれた親や周りの大人の方々や友人などに「たまたま」恵まれたというだけのことであった。
そこで、ふと「たまたま」恵まれない環境で育ってきて、幸福であると感じることのできないままに生きているの人たちがいるという事に気づいた。
その人たちは、その人たちの意思で努力を怠ったり漫然と生きてきたのではなく、そのようにしか生きることのできないような環境で育ってきたわけで、その人たちを批難したり揶揄したりするのは的はずれなのではないかと思うようになった。
このような事を思った事もあり、最近は「たまたま」自分が恵まれた環境で育ち多くの幸福を感じることができているのであれば、それを我が物顔をして「たまたま」幸福になれなかった人たちを無視しながら自分の幸福だけを追求するのではなく、その人たちの人生を少しでも幸せにできるような生き方をしていきたいと強く感じている。
その生き方をどう実現するかはまだ何もわからないが、困っている人がいたら助けるなど、当たり前の小さな事から始めていこうと思う。
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この話を知り合いに話したところ、この考えはNoblesse Oblige(ノブレス オブリージュ)の考え方と似ていると言われたので調べてみると、
Noblesse Oblige:身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、欧米社会における基本的な道徳観。もとはフランスのことわざで「貴族たるもの、身分にふさわしい振る舞いをしなければならぬ」の意。
出典:デジタル大辞泉
とのことで、身分の高いものは普段豊かな暮らしをしているので、有事の際には彼らが率先して身を投じるというような意味の言葉らしい。そこで「身分の高いもの」という部分を「たまたま恵まれている人」というように少し変えてみると、
『たまたま恵まれている人はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという~道徳観』
となる。Noblessse Obligeという言葉はフランス語で「高貴さは(義務を)強制する」という意味なので、少し表現を変えた上の言葉はBonheur Oblige「幸福は(義務を)強制する」とでもいえるだろうか。このように少し言葉を変えてみると自分の考えていたことが腹に落ちる感じがする。これは幸福の社会に対する還元とも言えると思う。
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上に書いてきたようなことを何となく考えながら日常を過ごしていると、楽観的な自分には珍しく、すこし落ち込むような出来事があった。そのときに感じたのは、「自分がまず幸福でないと人の幸福を考える余裕はできない」ということであった。もしかしたら、自分が不幸でも人の幸福を考えられるような人もいるかもしれないがおそらく多くの人はそうではないと思う。このことから、理想論ではあるが幸福な状態にある人はそうでない人のために思いやりの心を持てるような人が沢山いる社会になれば良いと思った。
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幸せな人が増えるといいな。